若松孝二監督の話。

先日、シネウインドで、地元新聞社が若松監督のトークショー観覧の募集をしているのを知って、友人と応募しました。
昨日の夕方あったので、私は1名で、友人はご夫婦で2名での参加となりました。


行った順に 葉書きと整理券を交換して、一番後ろの席に座りました。
80人以上は来ていたと思います。
やはり団塊の世代が多かったです。
友人夫婦は、最後の最後に到着で、補助席を作って、前の方に座ってました。


この監督さんは、社会で問題になっている事案をたくさん映画で発表されています。
どちらかというと、対象者側からの視点で描いた作品が多いようです。


http://www.wakamatsukoji.org/5.html


私は、彼の作品を一度も観たことがなく、今回参加した理由も、単純に、浅間山荘事件の本質を知りたかった!という想いで応募したのです。
当時、私は10歳でした。
白い山荘に大きな鉄の固まりがガンガン打ち付けられて、山荘が一瞬に壊れて行った画像が鮮明に残っています。
当時は、怖い人達!という 単純にそんな程度にしか思っていませんでした。
でも自分が大きくなるにつれて、「連合赤軍」の歴史を 少しだけ知ることになり、私が小さい日に観たあの光景が、追い詰められた彼らの最後の砦のようにも思えて、何故、こんなになるまで・・と、思ったのです。


トークショーは、「質疑応答」というかたちで進められました。
監督は72歳とのことですが、頭は真っ白でしたが、とても若かったです。
ご自分の経歴、今回の作品を長年ずっと作りたい!と思って温めていた事。
長年に渡る取材をされて、登場人物も全部 実名を上げている事。
世界各国を飛び回り、亡命している元赤軍派のメンバーにも接触して、この作品を見せた事。
司会進行役の新聞社の女性の質問に、とても丁寧に応答されていました。
その後、手を上げた参加者の質問に、監督がじっくり答えていました。
夕方5時半から7時を少し回った、約1時間40分ほどのお話でした。
概容は、なんとなく分かってましたが、連合赤軍の事が あまり頭には入っておらず、所々 分からない所もありました。
今の若者に付いても語ってました。(色々 興味深かったです)


「テロを起こした学生達のほとんどが 一流大学出身である!ということ。
この時代に大学に入るというのは、なかなか大変だったと思う。(家庭が裕福とか)
自分は、戦後、さつまいもばかり食べて育った!
生きて行くのが精一杯だった!」
と語っていたのが、印象的でした。
一緒に学生運動に参加して、石を投げて逃げて帰ってきた!というのが可笑しかったです。


話を全部 把握できてない部分もありましたが、この後、映画が公開される!というので、観る事にしました。
私は、友人に頼んで、昨日の内に前売り券を買っておいたので、それで観ました。
友人夫婦は、有料パーキングに停めてあるので、また今度観に来る!と言って、帰って行きました。