雨の古都も美しかったぁ〜♪

totoro012006-11-19

朝から新潟はお天気〜!
今日は、旦那と日帰りツアーで鎌倉散歩に行って来ました〜!


朝、7時20分 新潟駅東口2階新幹線改札口前に集合しました。
既に読売旅行の添乗員さんが旗を持って受け付けをしておりました。
旅に必要な諸々を頂いてから、新幹線改札を通り、新潟を7時40分発車!
段々雲行きが怪しくなり、今にも空が泣き出しそう〜・・。
東京に10時4分着!そのまま横須賀線で北鎌倉まで直行!
そこからは夕方まで、自由散策です。
これがこのプランの売り!
はい、どこへでも好きな所に行って、時間になったら帰ってらっしゃい!というツアーなんです。


11時過ぎに北鎌倉到着! 晴れ女のこの私が雨・雨よ〜〜〜〜〜〜!!
雨男に負けたのね。(旦那)
でも雨の古都もおつなもの。(傘、嫌だけど)
お寺好きな私!もうワクワクです。


すぐ近くにある円覚寺へ。
弘安5年(1282)、執権北条時宗が宋から招いた無学祖元(むがくそげん)を開山として創建された臨済宗の寺。 鎌倉五山第二位。度重なる火災により衰退したが、小田原城主や江戸幕府により復興。 現在の建物は関東大震災以後に修復された。 約6万坪の広い境内をほぽ一直線に伽藍が並び、15の塔頭寺院が建つ。(観光説明)


本堂をお参りして、中を拝見!
紅葉は、まだ早かったです。残念・・・。
来週くらいが良いのかな??
中は、あまり覚えていなんです。
この後起こる悲劇で、ぶっ飛んじゃいました。


ハイキングコースがあって、旦那が、この道を行こう〜!と言い出し、曲がり出しました。ハイキングコース!で嫌な予感はしたのですが、まぁ、ハイキング程度なら・・・ということで、行く事に。
10分後には「何がハイキングなの?」と旦那に一言!
旦那も「これってハイキングじゃないよなぁ〜!?」と人事〜!
あ〜たが行く!って言ったんしょ!!
立派な登山でした。山1つ越えました。(-_-;)
足場は雨でぬかるんでるし、転んだら大変な事になるような傾斜、幾重にも折り重なった木の根に足を取られて転びそうになるし、この間の裏磐梯に行った時より凄かったです。
頂上と思われる場所に葛原岡神社がありました。
疲れたけど、ここのさざんかが美しかったです。
ここで、少し休んで、今度は下り坂。
ガクガク、ガクガクと膝が笑い、もうこっちもケタケタと可笑しくなってきました。


ケタケタ笑っていたら、銭洗弁財天に着きました。
正式名は銭洗弁天宇賀福神社。御神体を祭る洞窟の水には、源頼朝が巳の年、巳の月、巳の日 の夜、夢枕に現れた老人のお告げで岩から湧き出る霊水を発見し、社を建てて宇賀福神を祀っ たという伝説がある。この霊水が鎌倉五名水の ひとつ である「銭洗水」。この水でお金を洗う と10倍にも100倍にも増えるといわれる。巳の日ともなると多くの参拝客が訪れ、小さなザ ルにお金を入れて洗う姿が絶えない。(観光説明)


実は、私、ここ、結構来てるんです。
何度来ても、あの雰囲気好きです。
洞窟で洗ったお金は、この後入ったお寺の拝観料に使わせてもらいました。


その足で、高徳院の大仏(鎌倉の大仏)へ。
国宝阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏)を本尊とする浄土宗の寺。大仏は青銅製で、台座を含め高さ13.35メートル、顔の長さ2.35メートル、目の長さ1メートル、耳の長さ1.9メートル、重量約121トン。東国にも大仏を造ろうとした源頼朝の遺志を受け継ぎ、仕えていた稲多野局が計画したといわれる。暦仁元年(1238)に着工され、6年後に完成した。しかし、最初の大仏は木造であったため台風によって崩れてしまい、その後建長4年(1252)から青銅の大仏が鋳造された。一辺1〜2メートルの鋳型を下から徐徐に接ぎ合わせて造られたが、原型作者も棟梁となっていた鋳物師も明らかになってはいない。このとき一緒に建立された大仏殿は、室町時代、大地震による津波で海に流された。以来、ずっと露座のままである。津波で寺も流され、長く廃寺と化していたが、江戸時代の正徳2年(1712)、増上寺の祐天上人が豪商野島新左衛門の協力を得、寺と大仏を復興し、現在に至る。大仏は体内が空洞になっており、中に入ると頼朝の守り仏や祐天上人像を見学することができる。境内には女流歌人与謝野晶子が詠んだ「鎌倉や御仏(みほとけ)なれど釈迦牟尼(しゃかむに)は美男におわす夏木立かな」の歌碑が立つ。(観光説明より)


う〜ん。相変わらず大きい〜!!
ここも何度も訪れた場所ですが、何度来ても鎌倉は良いなぁ〜♪
旦那は、鎌倉は始めて!と言う事なので、大仏の中に入りました。
今は、上まで登れないそうです。
残念〜・・。


そして長谷寺へ。
観音山の裾野に広がる下境内と、その中腹に切り開かれた上境内の二つに境内地が分かれており、入山口でもある下境内は、妙智池と放生池の2つの池が配され、その周囲を散策できる回遊式庭園となっております。また、その周辺にとどまらず、境内全域は四季折々の花木に彩られ、通年花の絶えることのないその様相は、「鎌倉の極楽西方浄土」と呼ぶに相応しい風情を呈しております。
境内には、本尊である十一面観音菩薩像(長谷観音)が安置される観音堂をはじめ、主要な諸堂宇が建ち並ぶほか、鎌倉の海と街並みが一望できる「見晴台」と、傾斜地を利用した「眺望散策路」があり、鎌倉でも有数の景勝地となっております。また、眺望散策路の周辺には40種類以上約2500株のアジサイが群生しており、梅雨の季節には眺望はもとより「アジサイの径(こみち)」として散策も楽しんでいただけます。(観光説明)


私が今回行った神社仏閣の中で、一番良かった場所です。
ここの長谷観音は、有名で、それは見事でした。
なんか温かい眼差しで見てくださっているような気持ちになって来ました。
多分、昔に行った事あるはずなんですが、忘れてるんですよね。
本当に見事な観音様でした。


長谷観音を見た後、近くの食堂で昼食を済ませ(旦那は天ぷら蕎麦、私は親子丼)、旦那が江の電に乗りたい!と言い出したので、付き合う事に!っていうか、足もガクガクしていたし、私としては、単純に鎌倉に電車で行きたかったのでした。^^;


鎌倉駅に着いてから雨足が激しくなりながらも、鶴岡八幡宮へ。
当宮は康平6年(1063)源頼義公が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。 また、頼朝公は流鏑馬や相撲、舞楽など、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興し、 関東の総鎮守として当宮に厚い崇敬の誠を寄せたのです。 以降、当宮は武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まりました。 当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士道」に代表される日本人の精神性の基調となりました。 現在では国際的史都鎌倉の中心的施設として国の内外より年間を通して数多の参拝者が訪れます。(鶴岡八幡宮HPより)


ここの参拝料は無料です。
あまり見ずに、雨も酷かったので、近くにあった神奈川県立近代美術館に行きました。
画像におさめようとしたら、電池切れ〜〜!!(-_-;)
ってことで、画像はなしよん。
柄澤 齊(からさわ ひとし)展がやってました。
木版画を中心に展示されてましたが、物凄く繊細でした。
作品の意味は、全然分かりませんでしたが、とにかく、細かい!というのは分かりました。
本の挿絵も手掛けていらっしゃるようで、ご本人も本を出筆されているようです。
そして本人のサイン会もあり、凄い行列が出来てました。


その足で、鎌倉に戻りましたが、まだ集合時間まで1時間以上もあったので、近くの居酒屋で時間を潰し(自分はつぶれないように・笑)、5時55分に鎌倉駅集合して、そのまま東京に直行!駅弁を買って、19時32分のマックスときで帰ってきました。
21時50分に、家に着きました。


そして朝、出掛けに付けて行った万歩計の成果を発表!!
なんと!!ジャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!!
今日のマーチ歩数は、26125歩でした。
お陰で、脹脛パンパラパン!です。(*_*)